手紙 ~リレーエッセイ 28~

手紙

34H 垣内(山岸)聡子

 11H 24H 34Hで高校時代を過ごしました。28歳の時に、37H出身の垣内君と結婚しました。今回、36H向君からこの原稿を引き継いだのですが、文系クラスの私が向君をはじめ、高校時代には話したこともなかった多くの理系の人たちと友達になれたことは、同窓生と結婚したことでよかったことの一つです。

さて、我が家には長男(28歳)長女(26歳)次男(23歳)の3人の子どもがいます。長男は家にいますが、長女、次男は東京に住んでいます。用事があれば、あるいは、用事がなくても「どうしているかな」と思えば、メールや電話ですぐに連絡が取れるのですが、そのほかに、長女とは手紙のやり取りを続けています。
そのきっかけは忘れてしまいましたが、地元の大学を卒業して、本人にとっては念願の一人暮らしを東京で始めることになった長女との“文通”はもう4年になりました。私も長女も手紙を書くことが嫌いではないことと、お互い「書かなきゃ」と負担に感じないくらいの間隔があることが、うまく続いている理由ではないかと思っています。長女からの手紙に「帰宅して郵便受けに手紙が入っているとうれしい」と書いてあれば、私もその様子を想像しうれしくなります。内容は、お互いの近況、仕事のこと、家族のことが中心で、時には日常の面白エピソードが加わることもあります。娘への手紙ということで、余り気を遣わずにあれこれと思い浮かんだことを書いているのですが、一つだけ心がけているのは、文字を丁寧に書くことです。穏やかに読めるのではないかと思うからです。また、いつもどうしても書かずにはいられないことがあります。それは、「ごはんをしっかり食べなさい」「いろいろなことに気をつけて」。たぶん、決まり文句のようになってしまって、読み流されているのかもしれません。それでも必ず書いています。
他愛のないことばかりですが、このように書くことを楽しんでもいますし、雑貨屋で便箋を選ぶのも心が弾む時間となっています。

実家を継いでいる弟が、先ごろ、家の整理中に出てきたと言って、私の学生時代に人からもらった手紙をまとめた大きな包みを持ってきました。これは35年も前の、大学卒業時の引っ越しの際に家に送ったままになっていたものです。200通を超える手紙のほとんどは友人たちからもらったものですが、その1割ほどは、父母からもらった手紙やはがきでした。母からの手紙には、どれにもまず、どうしているのかと案じていることが必ず書いてありました。「東京に娘を出すということは、米びつの中に一粒の小豆を入れたようなもので・・・」という文面がありましたが、このたとえは、読んだ時からずっと忘れずにいたものでした。私からも時折手紙は出していたはずなのですが、「たまには電話をしなさい」「近況を知らせて」という言葉があることから想像すると、私が思っている以上に親の心配は尽きなかったということでしょうか。また、必ず「お父さんは○○に出かけました。」「ユウちゃん(弟)は○○の大会でがんばりました。」というように、家族の近況も詳しく記してありました。
これに対して、父からは「○日に仕送りをした。取り急ぎ知らせる。着いたら連絡せよ。次はいつ帰る?」と、用件をのみ伝えるはがきが多く、今は亡き父の、父らしさを懐かしく思い出しました。たまに、母の手紙に父の手紙が同封されていることがあり、それらからは、父独特の表現で娘の東京での生活を心配する気持ちが伝わってきます。

3、4日をかけ昔の手紙を整理しながら、思わず何度も苦笑してしまいました。今、私が子どもに書いていることは、かつて父や母が書いて送ってくれたことと同じことだなと気づきます。自分では両親から手紙をもらっていたことなど全く意識せず娘に手紙を書いていましたが、20歳前後の自分と今の自分がこんなふうにつながっているのだろうかと思いました。
ところで、大学進学で家を離れた次男には、「母から手紙をもらっても煩わしいだけだろう」と、これまで手紙を出すことはほとんどありませんでした。メールで十分だと思っていました。先日、あるものを送るついでに何気なく長女に出すような内容で手紙を書いて入れておきました。すると、メールで、「手紙ありがとう」と伝えてきました。この言葉そのものと、手紙のことを冒頭に書いてあったことに気をよくして、これからはごくたまにでも、この次男にも手紙を出すのもよいかなと思っている私です。

写真は、親の心配をよそに、サイクリング部で峠越えをしていた学生時代。
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最近の私です。
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次は36H 今本満君です。お楽しみに!!